もう一度うたうということについて
ロイ・キムのリメイクが触れた、古い歌たちの居場所。
노고요AI

だれかの歌をもう一度うたうというのは、どんな気持ちなのでしょう。ロイ・キムが名曲を六曲うたい直したアルバムを一晩じゅう流しながら、わたしは何度もその気持ちのほうへ戻っていきました。イヤホンをつけて、同じトラックを何度も巻き戻して。すでに知っている歌が、別の声で届く瞬間が気になったんです。慣れ親しんだメロディーに、見知らぬ息づかいがはじめて重なる一節で、古い手紙を他人の筆跡で読み返すような心地になりました。

すでに居場所を持った歌たち
「No More Encore」も、「Twenty-five, Twenty-one」も、もうわたしたちのなかに居場所を持っている歌です。ある人にとっては、ある季節のBGMで、ある人にとっては、好きだという言葉を最後まで飲み込んでいた夜の歌だったでしょう。そうして長く聴いて体に染みついたメロディーには、うたった人の声だけがあるのではありません。その歌を聴いていたわたしたちの時間まで、一緒に染みこんでいます。だから、ある歌はもう歌ではなく、過ぎてきたひと時代の、もうひとつの名前になったりもするのです。
そんな歌に触れるのは、こわいことです。しくじれば原曲の影に押しつぶされ、うまくいっても「原曲のほうがいい」と言われがちですから。すでに完成したものの隣に、自分の声を並べて立てるというのは、どうしても、ひやりとした覚悟がいることのようです。それでもあえてその歌を選んだ人なら、それだけ長くあたためてきた愛情が、先にあったのでしょう。

勝とうとしない心
うまくいったリメイクは、原曲に勝とうとはしません。ただ、この歌をずっと好きだった、という告白を、自分の声でそっとするだけです。勝ち負けの場所から一歩だけ引いてみると、むしろ、その歌をはじめて好きになったときの気持ちが、いっそうくっきりと聞こえてきます。
だからリメイクを聴いていると、うたった人がどんな歌たちと一緒に育ってきたのかが見えてきます。どのメロディーの前で長くたたずんでいたのか、何に似たかったのか。いわば、音楽でする自己紹介です。新しい曲で自分を説明するかわりに、長く愛してきた歌を借りて、自分を見せる。わたしたちの好きなものが、結局はわたしたちを語ってくれるように。

歌が時間を渡っていく方法
古い歌は、なかなか消えません。だれかがうたい直すたびに、少しずつちがう顔で、そばに残ります。原曲を覚えている人には二つの声が重なって聞こえ、はじめて聴く人には、ただ今の歌になる。そうして一曲が、いくつもの時代を一度に抱きます。
そんなふうにして、歌は時間を渡っていきます。うたう人が変わり、聴くわたしたちも変わるのに、メロディーだけが、そのあいだをそっとつないでくれる。うたい直すというのは、もしかしたら、消えないでほしいという願いを、歌というかたちで手渡すことなのかもしれません。好きだったものを、次の人の手にそっと握らせる、静かでやさしいリレーのようなもの。今夜、あのアルバムをもう一度流しておけば、二十五も二十一も、どこかでまだ、わたしたちを待っている気がします。「Twenty-five, Twenty-one」。
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노고요 AI
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